ビーマニッキ(実質エリアトラウト

もう皆伝になれないおじさんがエリアフィッシングにハマる話

エホバの証人

1年ほど前の夏休みに、自分の通っている大学で外国人二人に質問されたことがあります。


質問は3つ、内容は簡単なもので、たとえば「英語は好きですか?」といったものでした。
話の最後に「今度の日曜日に○○で講演があるので来てください。」と言われ、ボランティアとキリストのネタが書いてある紙を渡されました。



自分は今も昔も変わらず宗教は嫌いなのですが、質問されている時点では「こいつらって宗教なのか?」という印象すら抱きませんでした。紙を渡されてようやく宗教と確信できたのです。でも、その紙をもらった後も不快感を伴うものではなかったのです。彼ら外国人は中々に好印象だったのです。行ってみようかなとも思ってしまいました。
当時は「宗教というだけで毛嫌いしている自分が、むしろおかしいのではないか?」とも考えました。勧誘だけなら、新聞屋の方がしつこいくらいですから。



しかしそれが宗教の甘い罠だとも思っています。これだけは生涯、変えないでいようと思います。宗教が嫌いであるからこそ、しがらみもなく生きていけるのではないかと思うのです。勿論、自分は、葬式での御経、クリスマス、そういうものを宗教だとは思っていません。あれはもともとは宗教でしたが、今ではもう「社会のシステム」なのですから。



さて最後に。


「信じる者は救われる。」


では、信じていない者は救ってくれないのだろうか。そんな出来の悪い宗教なら自分は要らないのです。