ビーマニッキ(実質エリアトラウト

もう皆伝になれないおじさんがエリアフィッシングにハマる話

うみねこEP7,8を終えて

ネタバレ注意。







一言でいえば、終わったーっていう爽快感は無いです。読み物としては面白いから満足ですけれど。犯人が結局謎のままで終わるってところに嫌悪感を抱くのは自分だけではないでしょう。それは、マニュアル通りの解答を期待していた者にとって、いたしかたないのかもしれません。しかし、これだけ長年にわたって進行してきたうみねこというものが、最後にはこの程度だったのか、というなんとも味気ない印象を受けました。



疑問がそのまま放置されている感がぬぐえないのです。それは作者が意図してのことだろうし、疑問を解決するだけの力を持たない自分自身がいけないのかもしれません。しかし、それを踏まえたうえでも、ひぐらしと比較しても安堵を得られるものではありませんでした。それはいわゆるシメ、ケジメといってもいい、が無いからだと思います。作者は読者にシメを預けたいということが理由なのでしょう。勿論推理は可能ですし、九分九厘犯人はこいつだろうと推測は立ちます。しかしそれでは推測の域を出ないのです。



例えばクロスワードのようなパズルゲームを解いていて、答えはこれ以外ありえないだろうという解答に至っても、真の解答を得るまでは自分は満足できないのです。こういう考えは、もしかしたら推理小説というものに対して通常多くの人が抱く想いに対して、あまりに的外れなのかもしれません。疑問をそのままにすることの方が芸術であり、解答を所望し明らかにすることの方が間違いなのかもしれません。しかし、それでもなお自分はどこからが幻想で、どこからが推理で、誰が犯人で、どういうトリックをもって、どういった理由から犯行に及んだのか知りたいのです。
やはり、フー、ハウ、ホワイでいうところの、ホワイだけでは犯罪ではないのです。誰しも人を殺したいと思うときがあるでしょう。人を殺す理由はいくらでもあり、他人にとっては退屈な理由かもしれませんし、充分な理由かもしれません。ですから、それに対してどうこう言うつもりはありません。しかし、それで犯行に及ぶだけでは単なる警察がおっかける殺人であり、推理小説にならないのではないでしょうか。自分は、誰が、どうやって、ということを重要視してほしかっただけなのです。勿論こういう風に読者に思わせることすらも作者の掌の上のことでしょうし、自分の考えも古典的だということを認めます。一言でいえば自分の抱いている感情は、単なる知的好奇心なのです。



繰り返しますが、ストーリーが面白くないから言っているのではありません。ストーリーには満足です。ただ、4年もの長き年月の中でコツコツ積み上げられていったうみねこの推理モノとしての正確な解答を得たいという自分自身の欲求が、最後の最後にうみねこを曇らせてしまったのではないかと思うと、どこかやるせなく感じてしまうのです。しかし、そのやるせなさをうみねこに対して辛く当たったところで解答は得られないから、一層深く沈んでいってしまう。最後にはドつぼにはまってしまった、そういう感じです。



以上。