ビーマニッキ(実質エリアトラウト

もう皆伝になれないおじさんがエリアフィッシングにハマる話

恋愛結婚というもの

最近はやりの恋愛結婚。少し前まではお見合い結婚が主流だったのは言うまでも無い。
僕も恋愛結婚のほうが良いんじゃないか?と思う一人ではあるが、何故かと言われれば答えられない。お互い好きだからってことだけで、結婚なんか出来るわけがない。
生活をするってことは要するに金だ。貧乏でも愛があればという気持ちは凄く分かるが、実生活をする上でそんなことは言っていられない。
子供はどうする。親はどうする。性格も大いに関わってくる事だ。



さて僕はそれについて本を読んでみた。そこには恋愛結婚は本当に『選択』なのかと書かれていた。それを要約してみる。

恋愛というのは自由に有触れている数ある選択肢の中から一つを抽出する自分の選択で、そして互いに色んな経験を通し、好き合っている。それならばもっとも優れたスタイルといえるだろう。しかし本当にそうなのか。何故ならお見合いだって数ある選択肢の中から一つを抽出し選べるじゃないか。自由という面でなんら恋愛と変わらない。しかもいきなり好き合う必要が無く、その時点で浮気は大いに許される。恋愛ではお互い彼氏彼女がいるため、浮気のようなことは軽蔑されることだろう。もっと良い人が見つかっても手を出せない。好きであることは何らかのペナルティがある。それはつまり、自ら選択肢を減らすことではないのか?

ということである。
今好きでも10年後も好きでいられる自信は無い。実際に離婚が増えるのは恋愛というものに重きを置いているからではないか。自分本位で行われる結婚は確かに喜ばしいものだし、それで完璧にうまくいくなら最高である。でも中々そうはいっていないのが現状である。金だ、生活だ、親だと、そういうものもひっくるめて、背負っていくものが結婚だ。



ある教師がこういうことを言っていた。これは女卑ということではないので注意いただきたいが、それは

もっとも優れた結婚形態は『女をさらって、そのまま結婚させてしまうスタイル』

らしい。何故かはよく覚えていないが、これは古典の日本の結婚観の一つにあることだ。



ここまで書いたが、自分はお見合いや古典を推奨する気はまったく無い。しかしながらそれを古いものとして、恋愛本位、恋愛こそ至上というのはまた勘違いなのではないかということである。確かに恋愛は美しいと思う。何故そうなのかと言われれば純愛があまり無い事件だからではないか?ダイヤモンドのようなものだと思ってくれていい。
誰もがニュースタイルであることに飛びつくのも不思議ではないが、自分は見合いが変だとは思わないのだ。


それ以前に誰かひとりを選ぶことなんか俺には出来ないんだなぁコレ。選択肢が多いわけでもないのにねぇw


と、気になるネタをTVで見たので日記にしてみました。