ビーマニッキ(実質エリアトラウト

もう皆伝になれないおじさんがエリアフィッシングにハマる話

アニメ文化についての考察 誇れるか否か

やや気になるテーマだったので、友達のブログからお借りしてきた。



一つ言えることは、あなたがアニメオタクを馬鹿だとキモイと、心のどこかで思っているのならば、それはいくらクオリティが高かろうと低かろうと『誇れる文化』ではないということだ。アニヲタはキメェのに、アニメはフィーバーしてるなんてことあるわけないっしょ?宮崎アニメを見る人間はキモくないのに、萌えアニメを見る人間はキモいというのならば、それは単純に心の貧しいだけのことだろ?偏見でしかない。



面白い、詰らないはあっても、それは個人差。価値観の違い。



多分オタクにとっちゃ、知識人がいう文化のような、やや堅いコンセプトに当て嵌められること自体イヤなんじゃないかって思う。勝手に文化という枠にくくってくれても構わないと言うかもしれないが、文化文化!と誇りにしようと思ってないと思う。
どういうオタクがいるかは知らないか、少なくとも俺ははそう。
『俺はお前らにかかわらない、だからお前もかかわってくるな。』と、少なくとも俺は思う。俺はそちらに行こうとはしない、だからこちらの領域には踏み込むなと、そう思っている。


それなのに、なんで一般人様(笑)がオタクのことに口を突っ込みたがるのか不思議でならない。そんなに偏見の対象のオタクが気になるのか?
昔ある友達とチャットで話した時に『人は、共通の敵を作りたがる。共通の敵を持つと団結しやすくなる。』といっていた。昔はよく分からなかったが、今ではよく分かる。イジメに始まり、オタクを貶すにいたるまで、このような捻くれた心的構造の表れなのではないか。



やや話がそれたが、誇る前提としてもう一つ言わなくてはならないのは、アニメーターの過酷な現状である。アニメーターがアニメを作っているのであって、オタクはそれを盛り上げているにすぎないからだ。アニメーターの過重労働、低賃金、それ抜きでは語れないことだろう。誇りとするならば、もっと優遇してやらないとならないと思う。



結論としては、アニメを『文化』にするのは、あくまでも定義した人間であるということ。誇れるには、誇れるだけの正当なシステムが成り立っていること。アニメを見ると白い目で見られるのに、アニメが誇れるモノなわけないということだ。