ビーマニッキ(実質エリアトラウト

もう皆伝になれないおじさんがエリアフィッシングにハマる話

うみねこのなく頃に

ちょっとネタバレ注意。
一応クリアしたので。お茶会みたいなのは見てないけど。



ずっと思ってたのは、このゲーム、どうやったら勝ちになるんだろう・・・そういう不思議さを孕んだゲームだってこと。斬新だな。推理やこじつけが勝利なのか、魔女だと認めて碑文を解くのが勝利なのか、真実がそれを信じるものによって歪む。見えない。


ここまで魔女の犯行だと視覚で認知させられる。この行われた筈の事実そのものを否定したら、うみねこというゲーム自体が成り立たなくなるだろう。つまり、実は、誰も死んでない、妄想、空想、絵空事、勘違い、ゲームの中での殺人ゲームの演劇、のようなことになってしまったら、ゲームとして価値が無いものだと言っているのだ。
登場キャラクターは推理出来ないという、魔法だからという。だが、本当に一切の推理が出来ない、ただの魔法であったとしたら、それこそプレイヤーをおちょくる行為。是と言えば是となるこじつけを求めているのか、魔法以外の答えを探すことが真に可能なのか、それすらも分からない。



そういう、一切の情報が与えられていないところが面白い。だが、すべて空想で片がついてしまったのならば、プレイヤーは今後離れていくだろう。そうだとしたらそれは一度しかチャレンジできないスタイルだと思う。


いやしかし、逆に、プレイヤーは踊らされているだけなのか?この一人の作者の手の上で、何も分からなくなるのか、ただ呆然としているのか、諦めて考えることすらもやめるのか、逃げだすのか、忘れようとするのか、それを無様にもわれわれに消費させ、どこぞの魔女と同じように高みの見物を決め込んでいるだけなのか。
どうあがいても越えられない壁だって知っているだろう、こじつけでも覆せない事実に対し屈服せよと。作者は物語を描きながらプレイヤーの負けを知っているのかもしれないな。そして負けを認めた上で、正々堂々とした勝負に挑む。そうでもしなければ、おそらくは失敗に終わるような印象を受けた。


これで漸くなのか、それとも完結なのか、それはその時がこないと分からないのだ。



それと『悪魔の証明』と『のたまう』と『ハッハハァ』とかいう音声を多用しすぎだ。



あとベア様は、それでも好きです。家具・・・?よろこんでー!金蔵とかいうぽっと出のお前には負けん。