ビーマニッキ(実質エリアトラウト

もう皆伝になれないおじさんがエリアフィッシングにハマる話

なぜ偽善といわれるのか

その一つが、目の前の苦しんでいる人間には目が向かないのに、遠いところばかりに目を向けるからだと思う。



想いや気持ちは真実でも、それが持続しない嫌らしさ。
嘘じゃないのに、モヤモヤがとれない。
募金に比して、どれほどのギャラが出るのかという話などがある。



テレビを見て感動するだけで、その場が終われば考えは止まる。
映画とは違うのに。
先に繋げるべきなのに、そこで止まって、来年までアクションは起こらない。


悲しい話、感動させる話を意図的に選ぶ。確にそれは間違いじゃない。
でも、もっとありふれた、介護の辛さ、ワーキングプアの辛さ、それには目が向かない。向いても反らす。


俺は、むしろ、ありふれたことの方に力を入れるべきなんじゃねーかなあって思うのよ。
番組的にダメだっていうなら、感動する話を9割占めるなら、残りはもうちょいありふれた辛さとか、苦しさとかを取り上げて欲しいのよ。

今のままだと、どこか、映画の世界、別の世界の出来事のように感じてしまう。



結局、健常者が障害をもった人を見る目は、健常者が健常者を見る目とは一致しない。
可哀想な人間がいる、という感情を越えられないだろうよ。

まずはそれを認めないといかんだろうなあ。