兎角、面白いということが重要だと思う。第三者にとってではなく自分にとって。
諸事万端いくら真っ当で、理に適っていても、それらが詰まらないのなら嘘なのかもしれない。
それでも、恐らくそれらが嘘だとわかっていても、盲目的に信じ、時間も金も消費するのが人だから、
いつまで経っても本質には近づけず、静かに、しかし確実に感覚は麻痺していく。
だからといって、これらに関して批判するわけでもないし、そうせざるを得ない風潮に対して疑問を投げかけているわけでもない。
自らの不明を恥じるだけだ。
とはいえ、このように従容としていても、それはそれで詰まらないのだから、やはりこれも嘘になるのだろう。