ビーマニッキ(実質エリアトラウト

もう皆伝になれないおじさんがエリアフィッシングにハマる話

男女間の友情は成り立つか

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1315241.html


不毛すぎる議論のひとつにこのネタがある。
しかし、この手のニュースを読むと、愛情というものを友情の次の段階として捉えるのがさも当然、という風に書かれていることが多い。自分はこの考えには同意したくない。



結論を急ぐなら、親族になろうと考えない限り男女間の友情は成り立つ。しかし、友情の上位的な存在として愛情があるわけではない、ということを先に述べておく。



単に愛情は親族だから成り立つ情だし、友情は他人だから成り立つ情だ。(ゲイとかバイとかレズとかを除けば)
つまり、これらは同一の感情の延長線上にあるのではなく、それぞれが独立した感情なのだ。簡単にいえば、愛情と友情は、野球とサッカーくらい違っている。同じ情ではあるが、まったく方向性が異なるという意味でだ。



親族であるなら四六時中一緒にいることが当然であるし、逆に他人ならば四六時中一緒にいないことこそが当然である。
ここでたとえば、「一緒にいる親族の方が情(愛情)が深い。愛情は友情よりも高尚だ。」という考えが成立するならば、「離婚」は存在し得ない。逆説的に「遠距離恋愛」も成立しないこと分かる。やはり愛情と友情は、また別次元のお話。全然別の方向を向いたベクトル同士のお話なのだ。



しかし、この異なるベクトルを近づけていくのが、恋愛という作業。他人のままか、親族になるかの瀬戸際。これは男女間の「友情と愛情の狭間」にある状態と説明できる。あくまでも友情が肥大して愛情に変わったわけではないのだ。
この状態がとにかく説明しにくいから、どっちつかずの不毛な議論が展開される。